こたろぐ

石橋鼓太郎のブログです。アートマネジメント/音楽研究(見習い)。

トマト1個未満の集中力

今日は髪を切ってきた。最近ちょっと気分を変えたくて、おでこを出すスタイルにしているのだが、わりと好評でうれしい。そのことを伝えると、大人しそうな美容師さんが、「お客様はおでこを出すのかなり似合う方だと思いますよ。こういうの、似合わない人がやると悲惨ですからねえ…。」と言っていた。ああ、この方もたぶんひっそりと社会を憎んでいるタイプの人間だな、と勝手に親近感がわいてしまった。

年末辺りからずっと集中力が続かない状態が続いており、けっこう本気で困っている。昨日から作業時間をタイマーで計るのを再開してみているが、ひと作業につき15-20分くらいで集中力が切れている。1ポモドーロ(25分)にも満たないじゃないか…。

多分その要因として、あまりにもYouTubeに入り浸ってしまっている、というのがある。ゲーム実況やらなんやら、面白いコンテンツがあまりにも多い。こっちを観ることが常態化していて、作業をしていてもすぐに集中できなくなり、動画に流れてしまう。一種のジャンキー状態である。

心から面白いと思って観ているのならいいのだが、こんなことしている場合じゃないのに、なんで大して観たくもない動画を延々と観続けているんだ、という心境のときが半分以上である。そういう心の声にもっと敏感になることが必要だ。日記はこのような意識化のためのツールでもあるのだが、もっとその瞬間にどこかに書き留めておくことが大事っぽい。RoamResearchをこの方向でも活用してみよう。

あとは、作業中に「いや、無理~!」(ロバート山本)となった時に、YouTubeTwitterではない別の逃避先を作っておくことも大事かもしれない。別のタイプの作業でそれができれば理想だが、なかなかそううまくいきそうにないので、楽器をひくのでも、音楽を聴くのでも、難しくない本を読むのでもいい、ということにひとまずしてみようかな。

一人でする音楽

めちゃくちゃサボってしまいました…。

ちょっと用事がある日が続いて、暇な時にまとめて書くか~と思っていたら、2週間近く放置してしてしまった。まあ、変に取り戻したりしようとせずに、気楽にできる時にやろう。

土日は音楽の現場が重なった。土曜日は久々のライブ出演、日曜日はとある朗読の収録とオンライン音楽ワークショップ。なんだかんだで刺激的な日々を送っている。

音楽との向き合い方について、もっとちゃんと考えたい。せっかく音楽をやるなら、自分にしかできない何かをやりたい。好きな音楽とか、研究を通して言いたいこととか、認知や身体の特性とか、いろいろな物事が絡み合った先に、必然的に生まれてくる音楽。

そのためには、一人でいろいろ試行錯誤をしてみる時間が必要だ。恥ずかしいことに、そういう形で音楽と向き合うことを、ここ10年くらい避けていた。私は基本的に、集団的な即興演奏という形で音楽をすることが多い。そして、他の演奏者が出す音に反応したりしなかったりすることで、場面が移り変わる状況に身を置くことこそが、音楽の醍醐味だと思っていた。それが私にとっての音楽のほぼ全てだった。その考えは今でも変わっていないけど、今はそういう音楽の場をひらくことが難しい状況になってしまった。むしろ、いつか来るであろうその場を最大限に楽しむためにこそ、一人での試行錯誤を積み重ねてみたい。

ひとまず、好きな音楽家を真似してみるところから入ってみようかな。

今の積み重ね

きょうは春一番が吹いたらしい。天気が良かったこともあり、自転車でひとっ走りしてきた。いつもの川沿いのコース。本当に春めいていて、コートを着ていると汗ばむくらいの気温だった。とても気持ちがいい。

帰ってきてからは、来年度に向けたミーティング。コロナでいろいろできなくなった、とは言われるが、そんな中でもこの企画ではかなり試行錯誤をしていて、できることを模索し続けた。その結果、いろんな発見があったし、いろんな人とも出会えた。来年度がどんな状況になっても、この一年でやってきたことが何らかの形でつながっていくはずだ、という確信がみんなの中にある。

過去にやりたかったことや、未来にやりたいことに固執すると、今とのギャップが生まれ、いろんなところに無理が生じて、しんどくなってくる。結局、時間の流れというものは、今の積み重ねでしかないのだ。「今この状況でしかできないこと」の積み重ねが、次の「今この状況でしかできないこと」をやっていくための大きな資源になっていくのだろう。

 

外で過ごす

気づいたら朝になっていた。

 

今日はとある撮影があり、割とずっと野外で過ごしていた。日光が心地よい。たまには外でのんびりするのもいいな~。もうちょっと暖かくなってきたら、近場で良い場所を探して回ってみたい。

この状況になってから、知らない土地をぶらぶら歩くということをほとんどしていない。登山にもめっきり行かなくなった。研究の大事なアイデアは、実はそういうときに降ってきたりする。たぶん、自分の行為や思考に集中しつつ、その引っ掛かりとして環境からの刺激がある、という能動ー受動のバランスが、一番自分に合っているんだと思う。集団即興演奏が好きなのも、似たような理由かもしれない。

逆に、環境の変化に応じて自分に求められていることをすぐさま察し、臨機応変に振る舞いを変えていくことが強く求められる場がめちゃくちゃ苦手で、すぐに疲れてしまう。飲み会だったり、企画本番の現場だったり。いろいろ試行錯誤したけど、こればっかりは本当にどうしようもないので、できるだけ避けるか、なんとかやり過ごすしかない。

 

撮影のなりゆきで、家で朗読を録音してデータを送ることになった。ちゃんとしたマイクを持っていなかったので、買わなきゃいけない。これを期に宅録を初めてみるのもありかもしれないな。

 

先日出した論文の修正稿が全然うまく直せていない気がしてきて、勝手に凹んでいる。こういうとき、ふと心にないことを独り言で言っちゃうんだよな。あ~。期限遅らせてもらって粘ったほうが良かったかもしれない。まあ、結果はもう変えられないので、気にせずどんどん先に行くしかない。

 

なんか日記っぽくなってしまった。まあ日記だしいいか。

組織間の関係を組み替える

きょうは春めいたいい天気だったけど、zoomミーティングでずっと家にいた。関わっているプロジェクトの、来年度に向けた会議だった。

先行きがまったく見通せないこのご時世、身を守るための体勢のとり方や戦略は、その制度や組織や個人の体質によって大きく変わってくる。大まかに、より固くすることによって守る方法と、逆により柔らかくすることによって守る方法に分けられると思うが、規模が大きい制度や組織ほど前者に傾きがちで、それは規模が小さく後者の戦略を取りたい組織や個人にとっては、とてもフラストレーションが溜まる事柄だ。

いま、世界中で同じようなことが起こってるんだろう。組織内のロジックを組み替えることはもちろん、メゾレベルの、つまり組織間の関係を組み替えることもまた必要で、じつはこれが一番難しかったりする。異なるロジックのぶつかり合いの中で、双方が協力してなんとかいい方向に持っていこうとすれば、きっと抜け道も見えてくるんだろうが、大半はこの地点に至ることすらできなくて、不毛ないがみあいや、責任のなすりつけあいをしてしまっているんだろう。

悪いのは、コロナだけなのにねえ…。

この数日バタバタしていて、さっそく更新を怠ってしまいまいまった。きれいに3日坊主ですね…。

発表の予行が一つと、論文の修正稿の締切が一つ。

発表の方は、かなり内容が難航しているが、コメントで面白い指摘をいただけたのもあり、もう一声で新しい景色が見えてきそうな感じ。蛹の中でいろんな物質がどろどろになりつつ変態していくように、概念やら事象やらがぐるぐるとつながったりつながらなかったりしている状態である。

不器用なので、あらかじめ全体像を決めておいて、それを部分に切り分けて一つずつ潰していく、という研究の進め方ができない。全体を少しずつ練り上げていくような感じで、つねに形が変わり続けている。

こんな進め方をしているので、論文の修正という形で数年前に考えていたことを拾い上げる作業がとてもしんどい。しんどすぎて、今回は自分でもよくわからない部分を残した状態で、タイムアップになってしまった。

でも最近は、自分が学部とか修士の頃に考えていたことと、博士に入ってからの関心が、どうにかつながっていきそうな感じもしてきている。不格好でも、なんとか形になってくれるといいのですが…。

意識しないことを意識すること

今日は割と集中していろいろ作業ができた。ここ数日、全ての行動を記録する生活を再びはじめてみているが、やはりかなり良い。予定を厳密に立ててそれを守るのではなくて、やりたくなったことはいつでもやっていい、というルールで運用するのがポイント。つまり、論文を書いている最中に動画を見たくなったら、論文の記録を中断して動画の記録に切り替えればいいのだ。行動が切り替わる時の心の動きや癖に対して意識的になれるし、かえって今本当にやりたいことに集中して取り組めている充実感がある。

それで気づいたことなのだが、何らかの制約があって仕方なくはじめた作業や、ちょっとやっとくか、くらいの気分でなんとなくはじめた作業のほうが、かえって集中できる傾向にある。今日でいうと、出かける前に携帯の充電が少ないことに気がつき、ある程度充電できるまでの時間つぶしとして資料を作っていた時が一番集中できたし、寝る前にちょっとだけ手を付けておくか、と論文を書き始めた時がその次に集中できた。逆に、しっかりと時間をとって、よしやったるで~と意気込んで始めた作業などは、からっきしダメである。どんだけ天の邪鬼なんだ。こういうのは意識的にコントロールすればするほどダメになる傾向にあるので、なかなかままならない。

あと今日は、別に個人的には大した迷惑じゃないんだけど、これ組織的にはけっこうヤバめな事故なのでは…という間違いメールが届いたりもした。こういう時は先方に必要以上に謝られることになるのだが、事故そのものよりも、気を遣わせてしまっていることの方に気を遣ってしまう。あまり怒ってるようには見られたくないし、でも結構ヤバい事故ではあるので、お気になさらず、というのも変だ。結局、全然気にしてなさそうなことを文面から感じ取ってもらおうと、とても簡素な返事にしたのだが、かえって怒ってる風に見られてしまったかもしれない。

両方とも、意識しないことを意識することの難しさ、みたいな話だな。こんなことばかり考えて生きている。