こたろぐ

石橋鼓太郎のブログです。アートマネジメント/音楽研究(見習い)。

自分自身と向き合い続ける

日記、結局ほぼ三日坊主で全然続かなかった。なんとなく頭の片隅にはあったのだが、再開するきっかけがなく、そのままになっていた。このまえ後輩に「そういえば日記書いてましたよね、たまに見てました」と言われ、なんか恥ずかしい気持ちになったので、これを機に再開してみようと思う。

 

いきなりちょっと重い話なのだが、今日は精神科の初診に行ってきた。ここ2~3年、物事に集中できない状態が続いており、研究や生活に支障をきたすことが多くなってきた。この日記でも書いているように、様々なライフハック法やらアプリやらを駆使して試行錯誤し続けているのだが、全て続かず、もう万策が尽きてしまった。困り果てつついろいろ調べてみると、発達障害、具体的にはADHDの症状に当てはまることがあまりにも多い。藁をもすがる思いで、一念発起して予約してみた。

結論から言うと、まだ断定できる要素はない、とのこと。発達障害は幼少期から症状が表れていることがほとんどだが、私の話を聞く限り、それがあまりないらしい。確かに、いろいろと質問されて幼少期を振り返ると、それほど落ち着きのない子供ではなく、むしろ優等生で大人しかった気がする。通知表にもいいことしか書かれてなかったし。今後は、幼少期の情報収集と、生活リズムの記録をして、それをもとに引き続き検討していきましょう、と言われた。

自分の過去や特性と正面から向き合ういい機会になりそうで、思い切って受診してみてよかったと思う。世界のことはよく分からないし、それが研究のモチベーションになっているのだが、その分からなさは結局、自分自身のよく分からなさに起因しているような気がする。最近よく思うのだが、自分自身と向き合い続けている人の言葉や行動には、やはり説得力がある。裏を返すと、自己分析を放棄している人の言葉には説得力がない、とも言える。インターネットに跋扈する、より大きい何かに追随して、自分がないままに批判ばかりしている人たちである。

 宇野重規さんのフーコー『肉の告白』評がとてもよかった。フーコーはずっと積ん読しているのだが、「自己」へと向かっていったとされる後期を中心に、チャレンジしてみようかな。