「できなさ」の種類
またしばらく更新しそびれてしまった。特別忙しかったわけでもないのに。なんかできないんですよね…。別に忘れてるわけではなくて、頭の片隅にはあるのだが、まあいっか、となってしまう。
こういう種類の「できなさ」は、けっこう多く経験している気がする。家を出るとき、出る時間は分かっていて、準備も間に合っているのに、なんか遅れてしまう。最近は、出席が必須ではないオンラインのイベントをわざわざ聞く、みたいなことが全然できなくなってしまった。外的要因によって自分の時間や注意の流れをコントロールされるのが嫌らしい。
一方で、普通に頭からすっぽ抜けたり、勘違いしてしまった結果としての「できなさ」もある。Twitterでも書いたが、先週は王子駅集合だったのに八王子駅に行ってしまった。自分の頭の中では、王子よりも八王子のほうが大きい容量を食っていて、文章をそう読んでしまっていたらしい。これはもう、単なる不注意というか、認知能力の欠陥である。
こういうことを繰り返しているうちに、気がついたら2年、3年と経っている。なんと危機感がなく、漫然とした人生だろうか。まあ、常に危機感を持って、隅から隅までを完璧に意思通りに管理している人生よりは、だいぶマシかもしれない。自分の中に猛獣や宇宙人を飼っていると思って、それとのコミュニケーションのとれなさを楽しめば良い。
とはいえ、それで他人に迷惑をかけてしまうのは良くないし、自分が本来やりたかったことができなくて凹んでしまうのも良くない。やっぱり人間は社会の中で生きていかなければいけない。良くしてもらった人には良くしたいし、その恩に対して自分の仕事を通じて応答する責任(responsibility)がある。でもこれも、感じなくちゃいけないものではなく、自分の中に自然と沸き上がってくるようなもので、実際いまもそういう気持ちが活動の大きなモチベーションにつながっている。
自分のコントロールのきかなさと、できるだけ罪悪感を伴わずに付き合い続ける方法を、日々探している。