こたろぐ

石橋鼓太郎のブログです。アートマネジメント/音楽研究(見習い)。

気まぐれと継続

私は元来とても気まぐれな性格をしており、何かを継続することがとても難しい。しかし、世の中はそのような人に向けて設計されておらず、毎日何かを継続できる人が成功を掴みやすいようにできている。

「研究」という営みもそうで、「どうすれば論文をたくさん書けるのか?」的な本なり記事なりを読むと、必ずと言っていいほど「毎日必ず一定の時間をとってそれを継続すること!」と書いてある。研究者は、論文や学会発表によって「業績」を残すことが何よりも大事で、そのために一番いい方法は、毎日コツコツと書き続けることである。しかし、私にはなかなそれができない。

どういう風にできないかというと、まず、読むなり書くなりの「行為」に集中することができない。興味のある論文や本を調べたり、研究についての構想を練ったりするのは好きなのだけれど、いざ読んだり書いたりする段になると、途端に躊躇するか、始めたとしてもすぐに飽きてしまう。というか、そもそもやるべきことを直視したくなくて、YouTubeをダラダラと観ている時間が圧倒的に多い。飛び込み台の上でなかなか思いきれずにウロウロしているような感覚である。

たまに何かの気まぐれでスイッチが入ったときや、締切直前の本当にヤバい時は、それはもう劇的に進捗する(そのために、今年はたくさん学会発表に申し込んだりもした)。…のだが、こんな衝動に頼っていては、「業績」を継続的に残していくことは困難である。

この気まぐれをなんとか管理しようと、いろいろなツールに手を出した。例えば、時間管理系のツール(TogglやPomodoro系のアプリなど)。自分が作業に費やしている時間を計測するとともに、自分がいま何の「行為」をしているのかを明確にするためである。それによって、行為の入り口でウロウロしている時間を減らす狙いがあった。これは断続的ながらもそれなりに続いたし、たぶんそれなりに効果もあった。

しかし、ある日ふと気がついた。こういう風に時間を「管理」しようとすると、思う存分に興味を拡散させるという自分本来の思考方法が抑制されてしまっているような感じがするのである。その結果、研究面での思考や行為が抑制されて、それ以外の思考や行為が無制限に拡がってしまっている。たとえば、1pomodoro(25分)作業した後、休憩時間(5分)の間にやらなくてもいい別の行為に手を付けてしまい、それが盛り上がって元の作業に戻れなくなってしまう。研究は、自分が好きで、やりたいことだったはずなのに。どうしてこうなった。

そんなとき、千葉雅也さんのこのツイートを目にした。

なるほど。たぶん、「やるべきこと」を強く意識しすぎていたのがいけなかったのだ。「やるべきこと」を「管理」しようとすると、それが本来「やりたいこと」であっても、「やるべき」という義務感に上塗りされてしまい、結果としてそこから目を背けてしまうのである。

そんなわけで、最近は、「やりたいこと」ベースでもろもろの行為を捉えてみるようにしている。一日の初めに「やりたい(notやるべき)こと」リストを書き出し、やりたい順番で処理していく。とにかくいま一番「やりたいこと」を躊躇なくやり、そこを糸口にいろいろな行為に派生させていくような感覚である。

コツは、「やるべき(だけどやりたくない)こと」を「やっておきたいこと」→「やりたいこと」と自分の中で変換することである。こうすることで、今までの考え方では「やるべき(だけどやりたくない)」ことと「やるべきでない(だけどやりたい)」ことに分かれていた行為を、フラットに扱うことができる。そして逆説的に(?)、これまでは義務感により目を背けがちであった行為にも、自然と着手することができるのようになるではないか。

とにかく、自分が今やりたいと思ったことに、躊躇わず全力でエネルギーを注ぐこと。「継続」は、その積み重ねの結果として、事後的に生まれてくるものなのである。たぶん。